日本ポップスの宝物
日本人は文化の違いか、クリスマスは恋人たちの特別な日とのイメージがありますが、本場の欧米では、日本のお正月のように家族が一同に集まる日となります。これはクリスマスソングにも表われており、日本では恋人を題材にしたものが多い一方、欧米では家族をテーマにした内容が多いのが特徴です。「I'll
be home for Christmas」は、クリスマスに父親が家に帰ってくる話し(戦時中のため)ですし、「The Christmas Song」では心温まるクリスマス風景を描いています。また、クリスマスプレゼントも家族内での交換が中心です。さて、日本で代表的な日本生まれのクリスマスソングとしては、何度もテレビのコマーシャルで使われる山下達郎の「クリスマス・イブ」が有名です。達郎の音楽は、彼自身がビーチ・ボーイズの影響を受けたと述べているくらい、夏のイメージが強いのですが、他方「ホワイトクリスマス」などの名曲を自分1人の声で多重録音したア・カペラで歌ったりと、クリスマスに関わりが深いアルバムもいくつか残しています。この山下達郎が他人の歌をカバーするときのこだわりに焦点をあて、アメリカンポップスに造詣が深い彼の知識の片鱗とその原点を紹介します。
“音楽通”達郎
山下達郎はときどき自分のアルバムのライナーノーツを書きますが、そこにはなぜその曲を選曲したかという理由が述べられていて興味深いものがあります。例えば、映画「Big
Wave」のサントラ盤として制作されたアルバムは、半分がビーチ・ボーイズのカバーで占められていますが、達郎はビーチ・ボーイズのメジャーな作品というより、彼の好みにあった渋い作品を選んでいます。「This
Could Be The Night」、「Guess I'm Dumb」などのカバーはフィル・スペクターのサウンドが感じられ、R&Bソングである「Darlin'」は初めて聞くと達郎のオリジナルのように聞こえます。ビーチ・ボーイズの作品(実際は他人に提供した曲もあるため、リーダーであるブライアン・ウイルソンの作品と言うべき)と比較してみると、オリジナル・サウンドとよく似ているのには驚かされます。しかし、アルバム全体で聞いてみるとまぎれもなく達郎トーンが貫かれています。蛇足ですが、達郎は自ら作曲、アレンジ、演奏、プロデュースを1人でこなすブライアン・ウイルソンと音楽アプローチがよく似ています。
93年度の作品「Season's Greetings」では、多くのクリスマスソングを歌っていますが、ディズニーの「わんわん物語」からラブソング「ベラノッテ」を選んでいるなど、彼の音楽の幅の広がりを感じさせます。元々この歌は映画のなかではカンツォーネ風に、レストランのシェフによって歌われていますが、映画のストーリーがクリスマスの夜にはじまり、クリスマスの夜に終わるとの展開から選曲したと述べています。
ディズニー音楽のベストアルバムには必ず入る美しいバラードを、クリスマスソングの一つとして自ら歌うあたりは、彼のこだわりが感じられます。彼の広範な音楽知識は、特にアメリカンミュージックの50、60年代に表われており、ドゥーワップ(Doo-Wop)に対する造詣と愛情は彼自身のライナーノーツから読みとれます。例えば、63年にBobby
Vintonの甘い歌声で大ヒットした「Blue Velvet」のカバーは、51年にヒットしたトニー・ベネット版ではなく、55年にR & Bのヒットチャートに現れたCloves版を元にしています。達郎が現在でも多くのカバーをアルバムに残しているのは、彼の音楽姿勢からうかがえます。達郎は「スタンド・バイ・ミー」がなぜ今も歌われるか?という疑問に、いい音楽は古くさくならない。だから自分の作品も「10年持つようにつくる」と情報雑誌のインタビューに応えています。彼が古くさくなく残りうるものとは、ビーチ・ボーイズであり、小津安二郎の映画であり、普遍的なテーマを包含した作品です。
達郎の原点
達郎のデビューは伝説的なバンドと言われる“シュガーベイブ”です。四谷のロック喫茶店「ディスクチャート」に共に顔を出していた、大貫妙子の幻のデビューアルバム作成に立ち会ったのが縁で、村松邦男他計5名で結成されました。シュガーベイブはライブハウスや地方公演の活動を経て、大滝泳一等の“はっぴいえんど”でデビューを果たします。すべて73年の出来事、達郎21歳の時でした。
大滝がシュガーベイブを解散コンサートに起用したのは、はっぴいえんどのボーカルパートを強化するのが目的で、偶然にシュガーベイブの自主制作版を聞いたからでした。福生の大滝の家へ呼ばれた達郎は、音楽談義に花を咲かせ、すぐさま意気投合して、はっぴいえんどの解散コンサートの参加依頼を喜んで引き受けました。73年の年も終わりに近い12月17日、クリスマスを前にシュガーベイブは青山タウンホールで本格的なデビューコンサートを行いました。
アルバム「SONGS」の1曲目に収まっている「SHOW」は達郎の作詞作曲によるもので、この日のために書き下ろされました。初のデビューアルバムでは大滝が全曲エンジニアを努め、彼らの歌をじかにスタジオのミキサールームで耳にしています。大滝は制作時にマイクを通して達郎の才能が満ち溢れていた、とライナーノーツで書いています。残念ながらシュガーベイブはアルバム「SONGS」と「Down
Town」のシングルカットを残して76年に解散します。「Down Town」はもともと他人に書いたものを、採用されずに自ら歌ってシュガーベイブの代表作となり、後に女性アーティスト、エポがカバーしてヒットしました。ところで、面白いことに当時のコンサート写真を見ると、その頃から達郎は長髪でした。ヘア“スタイル”にもこだわりがあるのでしょうか?(nao)