フィル・スペクター 60年代ポップスの寵児、その栄光と影
ロネッツの名曲「Be my baby」の生みの親
未だにFM番組でよく取り上げられる「Be
my baby」のヒット曲で有名な女性3人組のボーカルグループ、ロネッツ。彼女らの生みの親ともいえるフィル・スペクター(1940年ニューヨーク、ブロンクス生まれ)を取り上げます。
オールディーズをお好きなかたには、クリスタルズ、ライチャス・ブラザーズ、そしてロネッツなど50〜60年代の人気アーティストは馴染み深いものがあるでしょうが、その彼らをプロデュースしたのがフィル・スペクターでした。それ以外にもティナ・ターナー、ビートルズ、そして解散後のジョン・レノンやジョージ・ハリソンのレコードクレジットにはフィルの名前が多く見られます。フィルは当時アレンジャー兼アーティストといわれた音楽プロデューサーの役割を、映画における最終編集権を持つディレクターのような地位にまで高めました。いわゆる「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれた重厚なバック演奏、例えば、ギターを何台も使って音に厚みを増したり、ピアノを高音と低音に分けて演奏したり、パーカッションに特色を持たせて深みを出したり、現在のデジタル多重録音ではあたり前の手法を30年前のアナログ/モノラルの時代に気の遠くなるような手作業で作りだしました。そのような点で今日、フィル・スペクターの影響を受けていないミュージシャンを探すのが難しいくらいです。ブルース・スプリングスティーンも作品の中に「ウォール・オブ・サウンド」をストレートにコピーしたものがあります。また、日本では大瀧詠一のようにステレオでフィルのアレンジの世界を再現しようと試みているミュージシャンや、山下達郎のようにバックコーラスや楽器一つ一つまで多重録音でミックスダウンして音の厚みを生みだしているという例にもフィルの影響が見られます。
音楽プロデューサーとして再出発
ハーヴェイ・フィリップス・スペクター(彼は自分の本名を嫌い、フィルを自称した。)は、身長が160センチ位、長い鼻に大きな耳を持つ小男で、自分の容姿に強いコンプレックスを持っていました。感受性が強く神経質で気まぐれ、しかも独占欲の強いこの青年は、一方で豊かな音楽の才能に恵まれていました。16歳のとき「To
know him is to love him」というセンチメンタルな曲を書き、自ら作ったバンド“テディ・ベアーズ”(名前の由来はプレスリーのヒット曲‘テディ・ベア’からである。)で58年にこれをNo.1ヒットさせます。しかし、フィルの狙いはバンドによる演奏ではなく、自分が作りだしたサウンドを再現することにありました。テディ・ベアーズを解散したフィルは、59年にはプロデューサーとして1枚あたり1.5セントの収入で当時ハリウッドで著名な音楽プロモーター、レスター・シル(後にフィルとレーベル「フィリス」を設立する。)と契約します。こうしてフィルはプロデューサーの第1歩を踏み出しました。
あとにフィルの2番目の夫人となったロニー・ベネット(ロネッツの写真の手前の女性。結婚後はロニー・スペクターを名乗る。彼女は最近日本で大瀧詠一や松田聖子のカバーを集めた企画CDに参加して歌っている。)をリードボーカルに結成されたロネッツは、フィルと契約してから1年後の1963年8月にジェフ・バリー=エリー・グリニッチ作(クレジットにはフィルの名も載っている)による‘Be
my baby’をリリースします。この時フィルがこの曲に賭ける意気込みはすさまじかったようです。4時間のセッションが過ぎてもまだレコーディングはせず、何度やり直してもフィルは楽譜を破り再度のセッションを要求しました。アコースティックギター、ピアノ、ドラム、ホーン、そしてヴォーカルの取り直しを繰り返し、やっと42回目の演奏でフィルの満足した表情が得られました。その後楽器やバックヴォーカルのオーバーダビングを何度も行い、ややこもり気味なエコーがかった独特なスペクターサウンドを創り出しました。とりわけ、フラットだけれど少しビブラートしたロニーの歌声は、「ウォッ、オッ、オッ、オー」の部分だけでも十分にわれわれに魅力的ですが、彼女の声にもっとも魅了されたのは他ならぬフィルでした。その後フィルは最初の妻アネットと別れ、ロニーと再婚します。しかし、その後結果的にはフィルが原因で別れてしまいます。
ビートルズとの親交
1964年イギリスに渡ったフィルはビートルズと親交を深めます。ビートルズのメンバーはTV番組、エド・サリヴァン・ショウに出演するためにアメリカへ初旅行するとき、非常に不安であったためフィルに一緒にニューヨークまで行くよう依頼します。この時の模様を回想してフィルは「ビートルズは飛行機から降りるのを死ぬほど怖がっていた。アメリカを本当に恐れていたんだ。(中略)彼らを殺そうという人間が紛れているんじゃないかと真面目に心配していた。」と語っています。結果はご存知の通り、ビートルズは大観衆に迎えられ成功の切符を手にいれます。その時フィルはトレードマークともいうべきサングラスに加え帽子をかぶり、彼らの背後で人知れず新しいロックミュージックの時代の到来を見つめていました。
最後にフィルの音楽創りに関する興味深いことばを紹介します。「曲作りはワーグナーの歌劇のように構築されていく。最初はシンプルだけど最後にダイナミックな力と意図と目的を持ったものになる。(中略) ぼくはレコード業界を少し変えようと考えている。つまり、普遍的なサウンドを創造しようと思うんだ。」
フィルは、子どもがそのまま大人になったような人物でしたが、その音楽はとても完成されていて現在のミュージックシーンに深く息づいています。この後のページで、やはり普遍的なミュージシャン“ビートルズ”に関するエピソードをフィル・スペクターとのつながりを中心に紹介しています。