音に鋭い感性を持つという点で、人間以上にイルカの音感覚は興味深いものがあります。彼らは決して音楽を奏でるわけではないし、モーツァルトを好んで聞いているわけでもありません。しかしながら、イルカが発声する音はそれ自体音楽的であり、また、訓練されたイルカは音楽に合わせて演技すらできるのです。面白いことにあるイルカは、ショー終了後の休憩時に自ら館内の音楽に合わせて演技の練習をしていました。さらに野生のイルカでも音楽を奏でると、そこに寄ってきてジャンプしたり親愛の表現を見せます。
フランス映画「グラン・ブルー」で世界的に著名になった“ホモ・デルフィナス(イルカ人間)”ことジャック・マイヨールは自身のイルカとの体験から、イルカの興味深い考察を語っています。そこで、ジャック自身と彼が愛したイルカの生態を中心に紹介します。
バンドウ・イルカ
一般にイルカと呼ばれているのはバンドウ・イルカの種類を指します。イルカはかつて日本では食用として捕獲されていましたが、最近は観賞の対象とされ、いろいろな観光ツアーが組まれています。イルカの一生は25年弱と言われています。しかし、陸と海の生活形態の違いはあれ、人間との共通部分も少なくありません。例えば、イルカの体温は常時36.9度に保たれ、哺乳類であるため出産時はへその尾を切って赤ちゃんは誕生します。近ごろ人間でも行われている水中出産ですが、イルカの赤ちゃんは当然のことながら空気を吸うために、生まれた直後に海面に上がって最初の呼吸を始めます。イルカ同士は音波、またはテレパシーのようなもので互いのコミュニケーションを持ち、また、雌雄間で嫉妬の気持ちさえ持つようです。もっともイルカが人間的だと見られるのはその知能においてです。イルカは体積比では人間以上の脳の重さを持ち、まるで人間の感情がわかるように親しい人にはその感情を体で表現しますし、テレパシーのように以心伝心で人の心に自分の気持ちを伝えます。記憶力も優れており、ジャックと7年後(人間では約25年に匹敵する)に再会したマイアミ海洋水族館のイルカ(後述)が瞬時にジャックを認識したエピソードは有名です。
イルカの聴覚は耳ではなく、前頭部にある「メロン器官」とよばれる部分から超音波を出して、その反射により頭蓋骨にある内耳で聞いています。可聴領域は人間の12キロヘルツに対して、イルカは150キロヘルツです。イルカは人間のような声帯をもっていませんが、メロン器官からピーという口笛のような音や、ニャーニャーという猫の鳴き声みたいもの、カチッという0.1秒にも満たない音などを発しています。イルカは目隠ししても物を見つけられますし、それぞれの音を使い分けてコミュニケーションや障害物の探知をするようですが、まだ科学的に解明されていません。
「グラン・ブルー」と現実のジャック
ジャック・マイヨールは身長175センチ、体重65キロほどの普通のフランス男性です。普通でないのは、彼が100メートルの深海を素潜りで潜り、ヨガの呼吸法を会得して4分近くも少ない酸素で潜水でき、さらに「イルカになりたい」と考えている点です。映画の中で描かれていたジャックは、物静かな控えめな男ですが、実際のジャックにあった人の印象は180度違います。饒舌で自己主張が強く、とても怒りっぽい反面、今怒ったことも場面が変わればケロッと忘れる子どもっぽいところを持ち合わせています。そういう意味でジャックはイルカ人間と言うより、感情のコントロールが不得意な動物的な自然児です。また、彼はピアノがうまく、ショパン、サティー、バッハなどを弾きこなします。
ジャックとエンゾ
ジャック・マイヨールは映画でもお馴染みのように、1976年に素潜りで初めて100メートルの壁を破りました(潜水記録)。当時の生理学上の推測から最大深度40メートル、潜水時間3分間が限界との常識にも関わらず、ジャックはあっさりと記録を塗り替えていきます。このとき彼は40代後半でした。現在はジャックの教え子たちにより120メートル以上の記録も作られていますし、いつか300メートルまで達するだろうと言われています。往年のライバル、エンゾ(本名エンゾ・マイオルカ)との闘いは66年から始まります。前年までチャンピオンだったエンゾは常識の壁をちょっと越えた54メートルの世界記録を保持していました。そこへ無名のジャックがいきなり60メートルを記録して闘いは加熱します。
エンゾは映画でもあるように、74年に87メートルの記録を出したときに事故に合っています。実際は死に至らず、酸素欠乏のため水深25メートルの浮上時に意識を失いました。彼はこの一件以来、医者の判断で潜水を断念し、現在は陸上で元気に暮らしているそうです。
ジャックとクラウン
ジャックはイルカから呼吸法、水泳法など水の中でいかにふるまうかを学んだと言っています。彼の恋人でもあり、友人でもあったイルカは、マイアミ海洋水族館で1957年に出会った雌のクラウンです。彼女との出会いが水族館での仕事を決意させ、彼女の“要望”により一緒にプールで泳ぎ始めたのです。それはクラウンがテレパシーでジャックに啓示を与えたようで、彼女はジャックの心をすべて見通していたようでした。クラウンは恋人が待つように毎日昼の12時になるとプールの同じ場所でジャックを待っていました。それから1時間ほど2人は水の中で遊びながら交流を図っていきました。クラウンはジャックの精神状態がわかるようで、悲しい時は励まし、楽しいときは一緒にはしゃいだと言います。科学的に解明されていませんが、それはイルカの出す「気」だと考える学者もいます。イルカは人間の心のかなり奥深いところで交流することができ、そこへ発するイルカの「気」が、人の心の病を治すとも考えられています。
2人の交流は、人間とイルカのあるべき関係を示した端的な例です。人間の立場からイルカと交流を図るのでなく、同等の立場で行動し、コミュニケーションを築いて初めてお互いの信頼関係が結ばれたのです。
(nao)