もうひとりのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
昨今、親の七光をきっかけに活躍する人もあれば、親を越えられずに低迷する人もあります。前者は政治家、芸能人に多く、後者はスポーツ選手に多いようです。才能が世間の評価を決める職業はやはり厳しいようで、親の七光がかえって
"重圧" となってしまう例も少なくありません。音楽家の世界で親を越えたと評判の高い人は、ワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世(父と同名)です。親の反対を押し切って作曲家となった彼は、弟のヨーゼフとともに数々のワルツの名曲を残しました。
さて、ここで紹介する人物は、父と同名ながらヨハン・シュトラウスとは反対に本来の才能を開花できなかった音楽家のお話しです。
フランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング の誕生
天才モーツァルトは、歴史上にひとりしかいないと思われるかもしれませんが、天才になりそこなった(?)もうひとりのモーツァルトもほんの数行ですが、音楽史上に名前を残しています。モーツァルトは6人の子供をもうけました。その中で存命したのは、次男のカルル・トマスと六男のフランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング(1791年7月26日生まれ)です。このヴォルガングが生まれて4ケ月後の12月5日、偉大な作曲家である父モーツァルトは若干35歳でこの世を去ってしまいます。母親のコンスタンツェは、決して賢母とはいえなかったようで、次男のカルル・トマスをプラハにいる知人の家に預けてしまいます。一方、六男のフランツが2歳の時、父のような著名な音楽家に仕立てようと考え、彼の名前をフランツ・クサーヴァーからヴォルフガング・アマデウスに改名させます。2人目のモーツァルトがここで誕生したわけです。やはり親譲りの才能でしょうか、7歳の時には様々な演奏会に招かれ、父親の作品を弾いては喝采を博しています。また、父の余徳のためか、当時最高の音楽家から直接手ほどきを受けました。例えば、ヨーゼフ・ハイドン。古典派の作曲者として現在でも著名なパパ・ハイドンは当時既に66歳になっていましたが、この7歳のモーツァルトのために、親切に教えを授けています。また、ハイドンの紹介で当時有名なピアノ教師につき、改めてピアノの基礎からみっちり教えられました。しかし、いつでも「父モーツァルトの名を汚さないように」と皆から言われたことが、彼にとって一生の重荷となっていきます。
2代目ヴォルフガング・モーツァルトの活躍
さて、実際にヴォルフガングがピアニストとして最初に活躍したのは、1805年4月8日、ハイドンの73回目の誕生日を祝って催された演奏会です。この時、ヴォルフガングは14歳。彼は父のピアノ協奏曲および自作曲などを演奏しました。聴衆は大喝采でこの若いモーツァルトを迎え入れ、ハイドンも涙を流して拍手したと伝えられています。その後、モーツァルトのライバル?と見なされていたサリエリからも推薦状をもらったり、音楽新聞にもおおむね好意的批評が出て、前途有望かに思えました。しかし、父の重圧にやりきれなくなり、また、母コンスタンツェのステージママぶりが耐えられなくなってきたヴォルフガングは、17歳にして独立します。そしてポーランドに家庭教師の職を見つけウィーンを離れます。実際、当時の職業音楽家の生計事情が悪かったため、彼も父同様定職探しに奔放し、ピアノ教師になったり、演奏会を開いたりして各地を転々としています。1819年には、ウィーンを離れてから11年間会っていなかった母親と再会します。ヴォルフガングの言葉によれば「彼女は私の愛せる本当の母親になっていた」と。こうして2人は親子の再会を心から喜びあいます。母親と別れ、再びヴォルフガングは演奏旅行に出かけます。ドレスデンでは指揮者兼作曲家であったウェバーを訪問し、プラハでは演奏会を大成功に収めています。次にイタリアに入ったヴォルフガングは、20年間生き別れになっていたカルル・トマスに再会します。カルルは当時、音楽家になることを断念し、役人になっていました。2人はその後、1840年にもウィーンで再会しています。
定職探しに悪戦苦闘
さて、ヴォルフガングは、各地を転々としながら定職を見つけるため悪戦苦闘します。31歳にして旅を終えたヴォルフガングは、再びレンベルグでピアノ教師をする羽目になり、当初考えていた宮廷楽長の職をなかなか手に入れることができません。1841年、ザルツブルグで「モーツァルテウム」というモーツァルトの記念館が設立された時も館長職が得られず、結局「名誉楽長」という実の無い地位に甘んじています。翌年の1842年には、母コンスタンツェが79歳でザルツブルグに没します。これに呼応するかのように、彼は健康を害していき、翌年1843年7月29日に弟子1人に見守られる中、53歳の生涯を閉じています。一方、兄のカルルも一生独身で過ごし、子供も無かったので、モーツァルトの家系は、この2人を最後に途だえてしまいます。
もうひとりのアマデウス・モーツァルト。偽者ではないけれど本物を越えられない非運。いつの時代にもありえる話です。なまじ親が偉大だと、その子は決して幸せになるわけではないのは皮肉とも言えます。